主催者である『Design Group Radi』の方にこのサイトの掲示板でお誘いを受けて参加したPBeMです。
キャラクターは、「初めになんとなくイラストを描き、その後で設定を考える」という方法で作成。イラストを見ながら「方言丸出しの田舎出身者にでもしようか?」などと考えていたときに、「あたしは村費留学生よ。試験に失敗は許されないの。あたしはなんとしても神聖学科を出て、帰村したら立派なお医者さんにならなきゃいけないの。そのためにはこんな所で留年なんかしてるヒマは……」という『県立地球防衛軍』のパロディを思いつき、また、方言をマスターに強いるのは無理との判断から、上記のような設定になりました。
- 県立地球防衛軍
結果、ことあるごとにお金に厳しいキャラクターとして描写されることになり、また、私のアクションのせいなのか、話が進むにつれて、どんどんぶっきらぼうでキツい性格になっていきました。
ゲームの方は、第1回と第2回はNPC主導に感じ、正直あまり面白くなかったのですが、第3回以降はPC同士の掛け合いが非常に多くなり、リアクションを読むのが楽しくなったことを憶えています。この辺りのリアクション内容の変化については、『Design Group Radi』の「PBeM『香術士への幻想』運営に関する報告」にも記載がなされています。
ちなみにマスターの石川氏は、後に『Xchange』や『フォークソング』のシナリオライターをされた方だったり。
第1棟、つまり女子寮は、この日の朝はいつもより騒がしかった。朝食が終わってすぐ、ほとんどの部屋で一斉に大掃除が始まったのである。
その発端がどこだったのかははっきりとはしないし、別に寮全体で掃除をしようと決めたわけでもない。だが、何人かの生徒が「みんなで大掃除をしよう」と言い出したのは確かなようだ。
何はともあれ、寮のあちこちでガタゴトと机を動かしたり、あるいはいらない物を処分したりと、多くの生徒が忙しなく動いていた。
その中でも、エルトウィン・クリストフ・シャンフィール、通称エド・クリスは、真っ先に掃除をやろうと言い出した者の一人である。
生来のおっとり明るい性格のせいか、それとも何ごとにも一生懸命になる性格のせいか、はたまた愛情たっぷりに育ったせいか、あまり検定前のプレッシャーというものは存在せず、ここは検定のことよりも目の前の掃除を、というわけである。
ルームメイトはあまり乗り気ではなかったが、12歳とは言え大人との付きあい方をよく知っているエドは、持ち前の人なつっこい笑顔で急き立てて、大はりきりで忙しなく働いていた。
「あ、これどうしようかなあ」
掃除の途中、エドは少し埃の積もった空箱を手にとり、
「捨ててもいいんだけど……」
と、しばらく考え込んだ。
そこそこ気に入ってはいるが、そんなに執着しているわけでもない。大きめで丈夫なのはいいが使い道がなく、実は結構邪魔でもある。いつか使うだろうととっておいたが、ここしばらくとんと使った記憶がない。事実、埃も積もるほどに存在を忘れていた。
「誰かもらってくれるといいんだけど……うーん、でも……」
しばらく考えていたエドは、不意に
「ううん。ここで捨てなくちゃ部屋が綺麗にならないわ。私だけの部屋じゃないものね」
と決意をあらわにすると、部屋の前に用意しておいた大きなごみ箱の中に、その空箱を放り込んだ。
そして、その小柄な体にプラチナブロンドをなびかせながら、部屋の中を忙しなく動いて掃除を続けた。
それからしばらくして、エドたちの部屋の前を通りかかった三つ編みの少女が一人、ごみ箱の前で足をとめた。
眼鏡ごしにジィーッとごみ箱をのぞきこんでいたその少女、マナ・ナルナットは、しばらくしてごみ箱の中から空箱を引っ張り出すと、ぶつぶつとつぶやいた。
「これ、まだ使えるわよね。どうして都会の人って、物を粗末にするのかしら」
わずかな村費をかき集めてこの学園に通わせてもらっているマナにとって、まだ使える物を捨ててしまうのはどうにも気になって仕方がないらしい。
入学してまだ半年ということもあるのだろうが、そこかしこで捨てられている物を見ては、使える物がないかと目を走らせるのが日常である。そして、いつか使うだろうととっておいた物が山と積み上がり、そのうち崩れてくるのではと時々心配してしまうほどだ。
マナは空箱の上に積み上がっていた紙屑を払い除けると、クルクル回したり、コンコンと叩いたりして、よくよくその空箱を眺めた。
「ちょっと使いにくい大きさだけど、作りもしっかりしてるし、外見も綺麗よね」
マナは空箱を持って、そのままエドたちの部屋の中に顔を出した。
「エドさん」
ちょうど棚の整理をしていたエドは、膝をついたまま振り返った。扉のところでは、マナが空箱を手に持ってこちらを見ている。
「これ、もらっていいかな」
「あ、いいですよ」
エドはそう言いながら立ち上がって、マナのところまで歩いていくと、嬉しそうに屈託のない笑顔を見せた。
「誰かがもらってくれたらいいなって思ってたんです。よろしければ持っていってください」
ペコリと頭を下げたエドに、マナは眼鏡ごしに笑って見せた。
「そう、それならちょうどよかったわ。それじゃあ、ありがとう」
そう言って、マナは自室に戻って行った。
一方、同じ寮の違う部屋でも、やはり忙しそうに掃除をしている者がいた。
ここが先程のエドたちと違う点は、一人は先程から忙しなく動いていたが、もう一人は、ゆったりと椅子に座って、優雅に爪の手入れなどしていたことだ。
ちょっとの間出かけていた、黒髪にショートカットの女性が帰ってきた。これが先程から掃除をしていた方のユリエラル・ケレナルデである。
「ただいま」
と部屋の真ん中で椅子に座って爪の手入れをしていた少女に声をかけた。やはり先程からずーっとこの調子で爪を研いだりしていたのが、マリアナ・ベロウズである。文字どおり爪の先から頭のてっぺん、足の先まで女だということを現わしている。
「あらぁ、おかえりなさいユリエ。マナのところ、何かあったかしらぁ?」
部屋に帰ってきたユリエに、マリアナは塗ったばかりのマニキュアにふぅっと息をかけながら、ちょっと間延びしたいつもの口調で聞いた。
「魔法感知で調べて見たけど、何もなかったです。あの子も、もうちょっと部屋を片付ければいいのに」
そう言ったユリエは、
「私も掃除しなくちゃね」
と自分に言い聞かせて、再び部屋の中の掃除を始めた。
マナ・ナルナットは、腰ほどもある三つ編みを揺らしながら、学園の職員室へと向かっていった。お目当ての先生はシエラ・クールマインで、香雫回収についての話を聞こうと言うのだ。
「シエラさん」
「あ、あら、何か?」
呑気に朝のお茶など楽しんでいたシエラは、急に声をかけられて、すっとんきょうな声を上げた。
「検定と回収のことについて少し聞きたいことがあって」
マナの言葉に、シエラは困った顔をしてため息をついた。
「ん、どれだけ答えられるかわからないけど。質問するのはいいわよ」
「ありがとうございます」
マナはペコリと頭を下げてから、少し強い口調で続ける。
「こういう風に言うのもなんですけど、理由もわからずただ一方的に回収されるっていうのは、私たちにも納得できません」
と言って、マナはさらに強い口調で言う。
「それに、あの香雫はまだまだ力が残っているはずです。それなのに回収するって言うのは、もったいないじゃないですか」
マナの強い口調に、シエラはやはり困った顔で、言いにくそうに答える。
「あのね、私も知らないのよ。っていうか、この学園のほとんどの人が知らないんじゃないかと思うわ」
「え?」
マナは意外な言葉に、思わず聞き返した。
「えーっと、それって、学園が回収するのではないってことですか?」
「そう、だわね」
シエラは考えながらも、一応、その言葉を肯定した。
「香術士の世界が上下関係が厳しいのは知ってるでしょ? 特に知識や技術に関しては、上の方で厳重に守られてるのよ」
「それは知ってます」
マナはコクリとうなずき、シエラはそれを確認してさらに続ける。
「確かに学園はあなたたちにしてみれば目の上の偉い人に見えるかもしれないけど、香術士の世界では、かなり下の方なのよね。まあ、だからあたしみたいなのでも務まるんだけどね……」
シエラはそう言って、自嘲ぎみに小さくため息をつく。
「とにかく、今度の香雫の回収は、もっともっと上の方からのお達しなの。だから、私にはよくわからないし、その辺にいる先生に聞いてもわからないと思うわよ」
「そ、そうなんですか……」
マナは当てが外れて、困ったようにうつむいた。
「まあ、これは……私の想像なんだけど……」
と、シエラはつぶやくように言った。
「たぶん、この間の爆発に関係してるんじゃないかしら。ほら、寮で爆発が起きたでしょ? あれって、魔法のせいみたいだから」
「やっぱりそうなんですか?」
マナは、寮で噂になっていたことを思い出しながら聞いた。寮でも、あれは魔法を使った爆発だと言う噂が中心だった。
「たぶん……ううん、十中八九ね。だって、あんな風に爆発するなんて、魔法以外では考えられないもの。誰かが爆発させたんだと思うわ」
「そうですか」
と小さくうなずいて、マナは一番気になっていた質問をした。
「それじゃあ、検定試験はいつになるんですか?」
その質問に、シエラはやはり困ったような顔を返した。
「わからないわ。この香雫回収だっていきなりのことだったもの。たぶん、予備の香雫だって作ってないわよ。新しく作るにしても、何ヵ月もかかるかもしれないし、香雫に不備がないことがわかるまでにも時間がかかるんじゃないかしら」
考えながらそう言ったシエラに、マナは不思議そうな顔で聞く。
「それって、どういうことですか?」
「ああ、だから、あなたたちが持っているのは練習用の香雫だけど、やっぱり1つ1つ作らなくちゃならないのよ。その作り方とかは全く知られてないんだけど、とにかく作るのには時間がかかるらしいわ」
シエラは顎に指を当てて考えながら続ける。
「そうねえ、白露の樹から香雫を抽出して……って、どうやって抽出するのかも知らないけど、それから精練するでしょ? そして、宝石の中に封じ込めるのよ。まあ、よく知らないけど、時間とか手間がかかるんでしょうね」
「そうなんですか……それで、なくしたりすると大変なんですね」
「そういうことね」
感心した顔で言ったマナに、シエラもにっこりとうなずいてさらに続ける。
「それに、もし香雫に何か問題があったとして、それを1つ1つ調べるとしたら、やっぱり時間がかかるでしょ? すでに何がいけないのかとかがわかってればいいんだけどね……そんなのがわかってば、とっくにどうにかしてるだろうし」
「そうですよね」
マナはそうあいづちを打った。
「まあ、今年はないかもしれないわ。あまり、期待はしない方がいいわね」
シエラはそう言って、残念そうに首を振った。
「それじゃあ、今までに、試験が中止になったことってあるんですか?」
「ないわよ」
マナの質問に、シエラは即座に答えたが、すぐに自信なさげに言い直す。
「あ、この学校ができてからの50年くらいではね。でも、その前はわからないわよ。だいたい、華法宮でよくわからないくらい歴史が古いもの」
「つまり、この学校では例はないってことですか?」
「そう。どんな場合でも、香精秘術の研究都市としての活動を最優先すると言うのが、この華法宮の方針だもの。三百年前の戦争の時だって、検定試験だけは通常通り行なわれたって言われてるくらいなんだから」
「その……学校の沿革誌とかありませんか?」
「あるわよ……ちょっと待ってね」
そう言って席を立ったシエラは、部屋の端にあった本棚まで行って、1冊の本を持って帰ってきた。
「はい、これ」
「ありがとうございます」
「でも、別に面白いことは書いてないわよ。どこの研究室ができたとか、建物を改築したとか、そんなのばっかり」
そこまで言って、シエラはハッと気づいたように口を閉じた。その視線の先には、髭を生やした厳しそうな教師がツカツカと歩いてくるのが見える。
「あ、うるさい先生が来ちゃった。この話、私がしたのは内諸にしてね。別に噂ぐらいどうってことないだろうけど、あの先生、うるさいのよ」
「それじゃあ、最後に1つだけ。えーっと、これは友達が言ってたんですけど、香雫を使っていて爆発する可能性はどのくらいですか?」
慌てて聞いたマナに、シエラはブンブンと大げさに首を振った。
「と、とんでもないわよ。そんなことあるわけないわ。私だって、香雫が爆発するなんて初めて聞いたわよ。だから、慌てて回収してるんでしょ?」
そう言って、シエラは説明を始めた。マナも少しは学んだことなので知っているが、確認するとこうだ。
香雫というのは本来、魔力の源ではない。香雫は魔力をコントロールするための媒体であって、それ自体に何らかの魔力があるわけではないのである。
そのため、香雫はとても貴重なものであるが、香雫と調和して魔力をコントロールする術を知らない者にとっては、ただの珍しい香水でしかない。
ましてや、生徒たちが使っている香雫はいくらか使い回しがきくとはいえ、普通の香術士が使っている香雫は所有者以外にはまず滅多なことでは使えないため、事故が起きにくいという点で、香雫はとても安全な魔法の道具なのである。
それは、これまでに学園で香雫が爆発したというような事故が起きていないことで証明されている。
ただし、香雫との調和に失敗して、魔力自体が暴走して起きた事故というものは何度か起きている。が、それはどんな香術士にとっても同じことであるし、練習用の香雫での暴走などたかが知れているので、それほど気にされる問題でもない。
「……だから、もし香雫がいつ爆発するかわからないなんて状態だったら、私ならとてもじゃないけど、怖くて持ってられないわ」
シエラはそう言って、眉間にしわをよせた。
「あ、その本は持って行っていいわよ。また今度返してくれればいいから」
「はい、ありがとうございました。それでは失礼します」
マナは丁寧にお礼をすると、寮へと帰って行った。
9月15日。週が明けても、スカーラの目覚める気配はない。
とても生死の境にいるとは信じられないほどその寝顔は静かで、顔を近づければ整った息が返ってくる。
いつもならシーツはグシャグシャにして毛布に包まり、酷い時にはシーツも毛布も蹴っ飛ばして眠っているはずのスカーラが、こうして静かに寝息を立てている様子など、一体誰が想像できただろうか。
ただ、スカーラの寝相がひどく悪いことを知っている者は、ここを訪れる度に、これが普通ではない状態であることを感じずにはいられないはずだ。
その傍らには、ミアがじっと座っている。
しかし、その様子はいつもの落ち着いた感じではなく、ただ深い澱みにはまり込んでしまったかのような重苦しい表情を見せている。スカーラの事故があってから、ミアはずっとこの部屋にこもりきり、何か特別に看病をするわけでもなく、じっと、スカーラのそばにいる。
コンコンッと軽くノックする音がして、数秒後、そっと扉が開かれた。細いドアの隙間からのぞいた小柄な顔には、額に銀のサークレットがチカッと光ってみえた。
「こんにちは~」
薄暗い部屋を遠慮がちにのぞきこんだのは、アルル・シャルルである。アルルは部屋の中の様子をうかがうようにしながら、足を踏み入れた。
「あれぇ、誰もいないの? ひっどいなあ……一人くらい看病してあげててもいいのに。ねぇ」
アルルは独り言をつぶやきながら、手に持った花束を手持ち無沙汰にクルクル回した。そして、ようやく目が慣れてきたところで、部屋の中をキョロキョロと見回した。
もう夕方だというのに明りを灯していない部屋の中には、この数日と同じように、スカーラがベッドに横たわっている。そして暗がりに紛れるように、そのベッドに寄り添ってうずくまるミアの姿が目に入った。
「うわっ、ミ、ミアさん、いたの?」
アルルはミアの存在にようやく気が付いて、すっとんきょうな声を上げた。
「ダメだよぉ、ちゃんと明り点けなくちゃ」
元気な声でそう言いながら、アルルは壁にかけてあるランプのところまで行って、勝手にランプを点け始めた。
その間も、ミアが何かを言ったり、立ち上がったりする様子はなく、またアルルの方に顔を向けるようなこともなかった。
アルルがランプに火を灯した時、ちょうど扉をノックする音が聞こえてきた。
「はーい、開いてますよぉ」
アルルの小気味いい返事に促されて、3人の生徒が入ってきた。先頭で入ってきたのはポニーテールに青いリボンの少女がリィム・シュプレ。その後にいる三つ編みに眼鏡の少女がマナ・ナルナット、青っぽい服を着ているのがサラク・ラクティーである。
真っ先に入ってきたリィムは部屋に入ってくるなり、びっくりした様子で言う。
「あれぇ……どうしてキミがここにいるの?」
「ほえ?」
アルルは一瞬、困ったような返事をした。
「あのね、スカーラさんのお見舞いに来たの。ほらっ」
と、アルルは持ってきた花束を得意げに見せた。ランプの明りに照された色とりどりの花から、いい香りが漂ってくる。
「うわぁ、いい匂いだね。花瓶に生けとこうよ。えーっと、花瓶、花瓶……」
リィムはそう言って、部屋のあちこちを探し始めた。
「花瓶? 花瓶ねぇ……」
「この間はこの辺りにあったと思うんだけど……」
リィムにつられて、アルルもサラクもマナも部屋の中をキョロキョロ、ゴソゴソと花瓶を探し始めた。だが、なかなか花瓶は見つからない。
「ないよねぇ……ねぇミアちゃん、花瓶どこ?」
リィムはベッドの横にうずくまっているミアに明るい声をかけた。だが、ミアからは返事が返ってはこない。
「ミーアちゃん。ねぇってば……」
ミアの顔をのぞきこもうとしたリィムの肩を、サラクが手で止めた。
「そっとしておいてあげた方がいいですよ」
サラクはリィムにそう耳打ちした。本当はサラクもミアの父親のお店のことなどを聞きたかったのだが、一度聞いた時にはミアは全く返事さえもしてくれなかったので、それ以来、見守ることに決めていた。
しばらくして、ようやくマナが棚の下の方に入っていた丸っこい白い花瓶を引っ張り出してきて、机の上に置いた。
「ああ、ここ、ここに花瓶あるわよ。ちょっと小さいかな」
「大丈夫じゃないかな」
花瓶をのぞきこんだアルルは、嬉しそうに笑って答えた。
「えーっと、水は……」
「わたしが入れてきます」
困った顔をしたアルルから、サラクはそう言って花瓶を手に取ると、一旦部屋から出ていった。
持ってきた花束を机の上に置いたアルルは、ベッドの脇に行ってスカーラの顔をのぞきこんでいた。
「ねぇ、ずっとこのままなの?」
「うん、そう」
アルルの問いに、リィムが答える。
「診察とかしてもらったの?」
「んーと……保健医のルーシエさんに見てもらったけど、何だかよくわからなくて、よくわからないんだって」
「よくわかんないんだけど」
何だかよくわからない答えに、アルルは困った顔をした。
「うん、リィムもよくわかんなかったの」
リィムはポリポリと頬をかいた。
「あ、でもね、これはわかったのよ。魔法では直せないってことと、これからどうなるかわからないってこと」
リィムがニコニコしながらそう言ったのに対して、アルルは益々困った顔をした。
2人がそんな話をしている間に、マナは、ミアのそばに置いてあったすでに冷え切っている食事を、勿体なさそうに見つめていた。
「ねぇミアさん、食べないの?」
ミアはじっとうずくまったままで、マナの言葉にただ首を振った。マナはミアの傍らに膝をつきながら、ちょっとだけ欠けたパンを見つめた。
「食べ物がもったいないでしょ?」
マナは、少し冷たい口調でミアに言った。
「……ごめんね。食べたくないの」
ようやく口を開けたミアは、そう謝ってまた口を閉じた。
「それなら、これ片付けるわよ」
マナの言葉に、ミアはコクリとうなずいた。
マナは冷え切ったトレイを持って、ミアのそばから離れた。
「ねぇマナさん」
立ち上がったマナに、アルルが声をかけた。
「スカーラさん、治せないかな……」
マナはトレイを持ったままピタリと動きをとめ、わずかに考える。
「……治せるなら治してると思うけど」
「ほら、マナさんのおじいさんのノートとかに書いてないかな」
期待を込めた目で、アルルは聞いた。マナの祖父は香術士で、この魔法学園にいたときに勉強したノートを死ぬほど残してくれているのだ。が、その欠点はすでにボロボロだということと、祖父の字が汚くて意味不明な部分が多数あることだ。
「おじいちゃんのノートね。もう調べたけど、そういうことは載ってなかったと思うよ。それに、もうボロボロだし、おじいちゃんって字が汚いから、何書いてあるのかわかんない所がたくさんあるのよね」
と、マナはため息をついた。
「それより、2人ともお腹空いてる?」
マナの突然の質問に、リィムとアルルの2人は目を丸くした。
「リィムはまだ御飯食べてないけど」
「ふにょ? アルルも食べてないから空いてるよ」
「それならこれ食べる? あたしはもう食べたから」
マナはそう言って、持っていたトレイを2人の方に差し出した。
「あ、あのね、リィムは本当はそんなにお腹空いてないから」
と笑ってごまかしたリィムの横で、定食2人分は軽くたいらげてしまうという食欲大魔人のアルルがキラリと目を光らせた。
「ふえ、食べてもいいの?」
「もう冷めてるけど、捨てるのはもったいないでしょ?」
「食べる食べる食べる。実は街から帰ってきて真っ直ぐここに来たから、お腹ペコペコだったの」
アルルは嬉しそうにそう言って、サッと手を差し出した。
マナはトレイをアルルに渡すと、そのまま扉へと向かった。そして、扉のところで立ち止まると、振り返ってミアを見た。
ミアは相変わらずじっと座り込んだままだ。マナは何かを言いたそうに口を開いたが、しばらく考えを巡らせた後、言葉を飲み込んでそのまま部屋を出て行った。
マナが部屋を出て行った後、リィムはミアに話しかけた。
「ねぇミアちゃん。一緒にお出かけしない?」
と、リィムはいつもの明るい声でミアの顔をのぞきこんだ。だが、ミアは小さく首を振った。リィムは眉間にしわをよせて、ミアに顔を近づける。
「ミアちゃんがいつまでもそんなふうに落ち込んでたって、スカーラちゃんが元気になるってわけじゃないでしょ? ほら、元気出して、リィムたちとスカーラちゃんをこんな目に合わせた犯人を見つけ出して、懲らしめてやろうよ」
リィムは力強くそう言って、ミアの腕を掴んで引っ張った。
「ほうほう」
と、リィムの横で冷め切った定食を頬張っていたアルルがあいづちをうった。
だがミアは引っ張られた腕に力を入れないまま、再び首を振った。
「どこにも行きたくない」
そう言って益々体を縮ませたミアに、リィムは困った顔をした。
「そりゃあ、犯人を懲らしめても、スカーラちゃんが元気になるってわけじゃないけど、スカーラちゃんは動けないんだよ。リィムたちが代わりに何とかしてあげないと……」
そこまで言って、リィムは寂しそうな顔をした。
「スカーラちゃんがそんなこと望んでるかどうかなんてわかんないけど、もし、スカーラちゃんとあんな目にあわせた香雫が他にもあるんだとしたら、放っておくわけには行かないでしょ。ね?」
リィムはミアを説得するように、一生懸命話しかけた。その横で相変わらず美味しそうに食事をしていたアルルが、元気良く言う。
「そうだよ、行ってきなよ。スカーラちゃんの看病ならボクがするからさ。一生懸命するから、どーんと大船に乗ったつもりになって任せてよ」
アルルは力強く胸を叩いてみせた。
が、ミアの反応は芳しくなく、やはり小さく首を振ってみせるだけだ。2人は困ったようにため息をついた。
「それじゃあ、出かけなくてもいいから協力してよ。リィムって考えるの苦手だからさ。ミアちゃんは考えるの得意でしょ?」
と、リィムは少し優しげな声で言った。
「えーっと、まずは相手を探さないとね。ヒントはスカーラちゃんの言ってた白いロバと黒い何かの看板かな? それから、目立つ木のある通りか、木の名前のつく通りよね。そんなのあったかなあ……」
「ん~探せばあるんじゃないの?」
アルルがパンをごくっと飲み込みながら答えた。
「そ・れ・と、この前の男子寮の爆発事件も、きっと同じようなものが原因に違いないと思うし、香雫を売ってるって噂もあったじゃない。あ……」
リィムはそこまで言って、ようやく気がついたように顔を明るくして、ポンッと手を打った。
「もしかして、スカーラちゃんはそこからあの赤い香雫を手に入れたんじゃないかな。なんか、最近の事件とか噂、微妙に繋がってきたと思うんだけど……」
嬉しそうにそう言ったかと思うと、リィムはすぐにまた眉間にしわをよせた。
「あ、ダメ……やっぱ考えるのってリィム苦手だわ。ミアちゃんも考えてよ。リィムがあちこち走り回って調べてくるから、ね」
そう言って、リィムはじっとミアの顔をのぞきこんだ。やがて、ミアはゆっくりと顔をあげて、初めてリィムたちの方へとその瞳を向けた。
いつもはどこか毅然とした雰囲気を持っていたその瞳は、滲んだ涙がランプの明りを反射して、今にも壊れそうなほどゆらめいている。
「ごめんなさい」
そう謝って、ミアは再び顔を膝へと埋めた。
「そ、そんな、謝らなくてもいいよぉ。ほら、リィムたちが頑張って調べてくるから。他にもクゥちゃんとか、サラクとかも協力してくれるんだよ。安心してよ」
「それに、スカーラさんのことは、ボクがちゃんと見ててあげるから」
「……ごめんね、あたし……ごめんね……」
2人に励まされながら、ミアはつぶやくように何度もそう言って、声を殺して泣き始めた。
9月18日。
今週の始めからずっと、アルルがこの部屋で看病を続けている。この部屋に寝床まで用意して、可能な限りこの部屋にいて、スカーラの様子を見たり、ミアに話しかけたりしているのだ。だがミアもスカーラも相変わらずで、毎日が同じことの繰り返しのように過ぎている。
扉をノックする音に続いて、扉から顔を出したのは、棟長のライラ・ヘイリュセンである。
「様子はどう?」
「相変わらずですけど」
アルルは少し寂しそうに答えた。明るくて元気なのが特徴のアルルとはいえ、ずっとこんな重苦しい部屋で生活していたせいか、その声には覇気がないように聞こえる。
「そう」
ライラはため息をつくと、扉の外に顔を向けた。
「実はお客が来てるのよ。どうしてもミアに会って話がしたいってね。いい?」
「構いませんよ」
アルルはニコッと笑って答えた。
「そ、良かったわ。入ってきていいわよ」
ライラに促されて入ってきたのは、ミカエラール・ルシファードである。手には何やら分厚い本を何冊も抱えている。
ミカエラールは、ミアがずっとほとんど食事をとっていないという話を聞いて、なんとか自分が力になれないかとやってきたのだ。
もちろん、勝手に女子寮の中に入り込むなど言語道断なので、こうして棟長のライラに連れられてやってきたというわけだ。
「すみません。無理言って」
ミカエラールは、ライラに頭を下げた。ライラは苦笑いを浮かべると、
「いいわよ別に。こういう時だからね。じゃ、私は用事があるからあとはよろしく」
と言って、部屋を出て行った。
「えーっと」
ライラを見送った後、ミカエラールはどうしたいいか困ったように頭をかいた。
「あ、こんにちは、ミカエラール・ルシファードです」
「こんにちは、ボクはアルル・シャルル。よろしくね」
アルルのニコニコとして笑顔に、ミカエラールも思わず笑い返し、2人は握手を交わした。
その後、ミカエラールはミアの様子を見て、アルルに小さな声で聞いた。
「あのう……」
「ほえ?」
「ずっとこんな感じなのか?」
「うん、そう。御飯はほとんど食べないし、時々ゴソゴソ動くだけかな。たまーに出歩いたりもするけど、すぐに部屋に帰ってくるよ」
ミカエラールに合わせて、アルルも小さな声で返す。
「他の人が話しかけると何か答える?」
「みんな一緒。あんまり反応しないし、出かけたりもしないよ」
「そうか……」
ミカエラールは困った顔でボサボサの金髪をかいた。思った以上に酷い状態だったらしい。
「それで、スカーラさんの方は?」
「ぜーんぜん」
アルルは首を大きく振った。
「治す方法とかは?」
「今のところはないみたいだよ。ボクにはよくわかんないけどさ」
アルルは寂しそうに首を振った。
一通り聞き終わったミカエラールは、ため息をつきながら持ってきた分厚い本を持ち直し、ミアの方へと歩み寄った。
「ミアさん」
ミカエラールの呼びかけに、ミアはやはり答えようとしない。存在に気がついていないわけではなさそうだが、答える気はないようだ。
ミカエラールは自分の持ってきた分厚い本を床の上に広げた。どうやら医学関係の本らしく、中にはたくさんの病名などが見て取れる。
「スカーラさんの容体が少しでもよくなる方法を調べようと思うのだが、手伝ってくれないか?」
ミカエラールはそう言って、ミアの反応を待った。
しばらくして、ミアはだるそうに少しだけ顔を上げ、床に広げられた本に目をやった。だが、すぐにまた顔を埋めてしまった。
「治す方法がないとは思えない。ただ、僕たちが気がついてないだけなんだ。だが、僕1人では十分に調べることができない。誰かに手伝ってもらわないと」
ミカエラールは、自分の方を見ようともしないミアをじっと見つめて続ける。
「調べる人が多ければ多いほど、その方法を発見する可能性も高くなるとは思わないか?」
ミカエラールは再びミアの反応を待った。やはりしばらくして、ミアは小さく首を振った。
「ごめんなさい。私じゃダメだから……」
ミカエラールはしばらく考えた後、残念そうにため息をついた。
「それなら、せめてもう少し食事をとったらどうだ? みんな心配してる」
「……ごめんなさい。食欲ないの」
ミアはそう言って、小さく首を振った。
ちょうどその時、コンコンッと扉をノックして、マナ・ナルナットが現われた。
「あ、いらっしゃい。マナさん」
アルルの声に挨拶を返しながら部屋に入ってくると、マナはしばらくミカエラールの姿を不審そうな目で見た後、スカーラとミアの姿に目をやった。2人の様子は、前に来た時と変わっていない。
「何か変化あった?」
「んーと、スカーラさんがちょっと動いた気が……。でも気のせいかもしれないし、はっきりとはわかんないんだ」
アルルは珍しくはっきりしない物言いで答えた。
「ふーん」
と、マナはアルルの言葉を聞き流しながら、ミアをじっと見つめた。
「マナさん、何かあったの?」
「ちょっと気になることがあったのよ」
そう答えて、マナはやはりじっとミアを見つめ、相変わらずうずくまっているミアに対して、眼鏡の奥に不信感を強めた。
この1週間あまり、ミアはずっと塞ぎ込んでいる。親友がこういう目にあったのなら、ショックも受けるのだろうが、それにしてはショックの度合いが強すぎないかと、ずっと思っていたのだ。
マナはミカエラールと入れ替わりにミアの隣にいくと、座り込んでいるミアの顔をのぞきこんだ。
「ねぇミアさん」
ミアは相変わらず顔をこちらに向けようとしないが、マナは構わず声をかける。
「スカーラさんは、街であの赤い香雫を買ったといってたわよね。それなら、街で今回と同じような爆発が起きる可能性があるわ」
それに、とマナは付け足した。
「もしスカーラ以外にもそういう香雫を持っている人がいて、それを学園に返した人がいるなら、学園内でも爆発がまた起きる可能性があるわ」
マナの言葉に、ミアはピクッと体を震わせた。マナはその反応を確かめるようにじっと見つめながら、更に語気を強める。
「爆発が起きて、別の被害者が出てから悔んでも遅いのよ。次の爆発が起きる前に、なぜ爆発が起きたのか、何が原因で、どうして起きたのか。誰が起こしたのか、どうやればそれを防げるかを調べなければ、スカーラと同じような被害者がどんどん増えていくだけよ」
マナの強い口調に、ミアはいつの間にか顔を上げていた。その表情には次の事態を防ぎたいという意志よりも、恐怖の色の方が強く見える。
「そんな風に責めなくてもいいんじゃない? 別に、今回のことだってミアさんが悪いわけじゃないし、親友がこんな目に合ったんだから、塞ぎ込んでてもしょうがないじゃない」
と、アルルが横から口を挟んだ。その隣で、ミカエラールもウンウンとうなずいている。
マナはアルルたちに顔を向けると、しばらく何か言いたげに口を開いていたが、やがて、何も言わないままにミアの方へと振り返った。
ミアはやはり、脅えるような視線でマナを見つめていたが、マナがじっと見つめ返すと、すぐに視線を逸した。その仕草で、マナの中でわだかまっていたある不信感が、ようやく確信へと変わった。
マナはその確信を得て、更に強い口調で言う。
「ミアさん。あなたはどうしてこんな所でずっと座り込んでるの? 親友がこんな目にあったってのはわかるわ。でも、それならどうして親友を助けようとしないのよ」
「ちょ、ちょっとマナさんっ。それは言い過ぎよ」
アルルが慌ててマナの言葉を制した。
「ミアさんをそんなことで責めても仕方ないだろう? 僕たちができることをやればいいんじゃないか?」
続けてミカエラールが言ったが、マナはそれに全く動じることなく、2人を厳しい視線で睨み返した。
「あなたたちは黙ってて」
「な、何よっ!」
アルルは思わず怒りの声を上げた。続けて二言三言言い返そうとしたが、マナにじっと睨まれて、口をつぐんでしまった。
「自分に何も非がないというなら、こんなに塞ぎ込んだりしないわ」
マナは眼鏡の向こうの鋭い視線で、アルルとミカエラールをじっと見つめたまま、確信に満ちた強い口調で言った。
「ふえ?」
アルルは一瞬、わけがわからず、すっとんきょうな声で聞き返した。
「それって、つまり……えーっと……」
と考え込んだアルルの横で、ミカエラールはアルルとは別の意味で考え込んだ。自分としてはそんなことを信じたくはないが、マナの言うことにも一理ある。それが本当かどうかは、ミアの口から直接聞かなければわからないことだ。
ミカエラールはそのまま何も言わず、ミアの様子を観察した。ミアは視線を逸しているが、それまでの哀しみに暮れている様子ではなく、どこか脅えるようにソワソワとしているのがわかる。
ミカエラールの中でも、マナの言ったことに対する確信が強く芽生えていった。
「ミアさん」
マナは再びミアに向かって、今度は少し優しげな口調で言った。
「問題を独りで考えていても、大抵は悪い方にしか頭は働かないわ。でも、みんなで考えれば何かいい方法が思いつくかもしれない」
ミアはやはりソワソワと手を動かしながら、思い悩むように小さく首を振った。
「ああ、そうだな」
と、ミカエラールがあいづちをうつ。
「独りでじっと考え込んでても、何もできないし、回りに心配かけるだけだ。それより、みんなで何とかする方法を考えた方がいいに決まってる。ちゃんと飯を食って、体力を蓄えて、な」
ミカエラールはできるだけ優しい声でそう言った。
「え、えっ、2人とも何? どういうこと?」
アルルはまだわけがわからず、急に態度を変えたミカエラールを不思議そうに見つめた。
しばらく、ミアは黙ったままソワソワと手を動かしては、時々、困ったように首を振っていた。3人はその様子を見守っていたが、その中で、マナが最初に口を開いた。
「自分の香雫を、父親に渡したりしたわけじゃないわよね?」
ミアはその言葉にギュッと体を縮ませ、膝に顔を押しつけた。
「ご、ごめんなさい……私……私……」
ミアは震える声でようやくつぶやいた。
「え、じゃ、じゃあ……今までのことって、ミアさんも関係してたの?」
「そういうことになるわね」
ようやく事態が飲み込めた様子で聞いたアルルに、マナは小さくため息をつきつつ答えた。
しばらく啜り泣いていたミアに、3人は困ったように声をかけた。そしていくらか時間がたって、ようやくミアは落ち着きを取り戻した。
「とにかく。どういうことなのか話してくれないかしら。そうすれば、どうにかできるかもしれないから」
やはり真っ先にマナが聞いた。だが、ミアは幾度か何かを言おうとしつつ、その度に何も言えないままに口を閉じた。
「言えないってこと?」
マナの言葉に、ミアは首を振った。
「そんなに迫ったってダメだよぉ。もっと優しく聞いてあげなくちゃ」
横からアルルが強い口調で言った。
「頭が混乱してるんだろ。それなら……自分の香雫を父親に渡したってことは、君のお父さんは香雫を売っていた人だってことだよね」
ミカエラールの質問に、ミアはしばらく考えた後、首を振った。
「わかんない……確かめようと思ったけど……でも……」
「会えなかったんだな」
ミカエラールの言葉に、ミアはコクリとうなずいた。
「じゃあ、君はスカーラと同じ香雫を持ってたってことか?」
「わかんない」
再びミアは首を振った。だが、次第にその口調ははっきりとしてきた。
「お父さんが、試験に受かる香雫だって言ってくれたの。学園には内諸だぞって」
「スカーラさんも君のお父さんから買ったのか?」
「スカーラにはそんなこと言ってないから……でも、白いロバと黒い馬車の看板があるお店なら、お父さんの家の近くで見たことあるから……」
「つまり、関係がないとは言い切れないってわけね」
マナが念を押すように言った。
「で、ミアさんがもらったのは、どんな香雫だったの?」
「最初は緑色っぽかったんだけど、だんだん、色が変わっていったの。黄色っぽくなっていった……」
「色が変わるの? それって、ひょっとして虹色の香雫?」
アルルは思わず声を上げた。ミアはやはり首を振りつつ答える。
「違うと思う。でも……スカーラの香雫も色が変わっていったし……」
「ミアさんの持ってた香雫も、そのうち爆発したかもね。よかったじゃない。学園に回収されたんだから。これで被害にあわずにすんだんだよ」
アルルは安心させるようにニッコリと笑って言った。だがミアは、膝を抱えつつ沈んだ声で答える。
「でも……私がそれを持ってたってことがわかっちゃうから……そしたら、たぶん……私は……」
ミアがそう言った時、バンッ扉が勢い良く開いてライラが飛び込んできた。
「ちょ、ちょっと、ミア……」
息を弾ませながら、ライラはミアに詰め寄った。
「あんた、何かやったの? 学園の、じゃなくて、えーっと、よくわかんないけど、偉そうな香術士の人たちが来てるのよ。あんたを連れてくって」
ライラの言葉にミアはただ無言で答えた。
しばらく、部屋の中に沈黙が流れた。
最初にその沈黙を割ったのは、ミカエラールだった。じっとどうすべきか悩んでいたミカエラールは、ようやく意を決したようにミアの手をとったのだ。
「来いよ」
ミアは脅えるような目でミカエラールを見上げた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。どういうことか聞いてからでもいいでしょ?」
「ダメだよっ、ミアさんを連れてったらダメっ!」
横にいたアルルとライラも、同時にミカエラールを止めようと声をかけた。
「誰が差し出すって言ったよ。ミアさんはこの部屋にはいなかった。いいな。僕がひとまず連れていくから」
「ちょっと待ってよ。それもダメ」
ミカエラールの言葉に、ライラは即答した。
「放っておけないんだよっ。それとも、このまま彼女を見殺しにする気か?」
強い口調でミカエラールに言われ、ライラは言葉に詰まって、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「ほら、行くぞ」
「いや……」
ミアは小さな声で抵抗すると、身を固めた。
「何言ってるんだよ。このままだと、君はどこかに連れてかれるんだぞ」
「でも……」
ミカエラールは半ば強引にミアを立たせた。
「とにかくここにいちゃダメだ」
そうミアに言い聞かせると、ミカエラールはミアの手を引いて、渋々といった様子のライラに案内されて扉に向かった。
「スカーラちゃんのことはボクに任せてよね」
というアルルの言葉を聞きながら、ミアはミカエラールとライラに連れられて部屋を後にした。
マナ・ナルナットは、学園の教員室をのぞきこみながら、キョロキョロと部屋を見渡した。生徒はごくたまにしか訪れないこの部屋では、この時間に受け持ちの講義がない何人かの教師が思い思いの時を過ごしている。
その中で、マナは真ん中より少し奥にある机に目を止めた。何やら書き物をしている若い女性は、シエラ・クールマインである。
「シエラさん」
「はい? あら、ナルナットさん、どうかしたの?」
シエラは書き込んでいた日記のようなものを閉じながら、マナに笑いかけた。
「また、お聞きしたいことがあって」
「えーっと……いいわよ、まあ座ってよ」
シエラはキョロキョロと辺りを見回してから、隣の席をマナに勧めた。
「ありがとうございます」
マナは小さく頭を下げてから、椅子に座った。
「で、今度は何を聞きたいの?」
「ミア・セルティアは御存知ですよね」
「ええ」
と、シエラは不思議そうな顔でうなずく。
「この間のことなんですけど、寮にそのミアさんを連れに来た人がいたんです」
「ああ、そのこと……」
ため息をついたシエラに、マナは身を乗り出す。
「そのことって……御存知なんですね」
「うん、まあ……でも、上部運営組織の人たちだから、私には全然、わからないわよ」
「あの人たちって、本当に、上部運営組織の人たちなんですか?」
マナの不審そうな視線に、シエラは顔をしかめた。
「ええ、そのはずだけど……何かあったの?」
「普通、そういう時って学園の人が立ち合うと思うんです。だから、ひょっとしたら、香術士を装った別の人じゃないかと思って……」
「ああ、それなら心配ないわよ。ちゃんと、学園の方に話は通してあったみたいだから。っていうか、自警団の人だったみたいよ」
「自警団って……華法宮のですか?」
「そう。自警団って言っても、上部運営組織が動かしてるから、その一部みたいなものだけどね」
「じゃあ、守備隊とか白露師団っていうのは? たまに聞くんですけど、今回のことでは一度も名前が出てこないですよね」
マナは、やや不思議そうに聞いた。シエラは目をパッと開いて答える。
「ああ、あれはね、ティアソル国のものなのよ。確かにこの華法宮は、位置的にはティアソル国の中にあるけど、完全な自治都市だから、そんなのが出張ってきたら外交問題になっちゃうわよ。まあ、華法宮の中では、さっきの自警団ってのが頑張ってる程度よね」
シエラは明るい声で言ったが、その表情はすぐに苦笑いへと変わる。
「まあ、さっきも言ったみたいに、運営組織の一部みたいなものじゃない。学園って、運営組織から見ればただの下部組織なのよ。だから、あちらさんの考えてることなんて、学園にはわからないし、命令には従わなければならないのよ。そういう意味では、私にとっては自警団も運営組織もどっちも同じよ」
「そうなんですか……」
と、マナは少し残念そうな感じで視線を落とした。そして、遠慮がちに唇を開く。
「あの、それで……シエラさんは、その人たちがミアさんを連れて行こうとした理由を知ってますか?」
「え、と……」
シエラは一瞬困ったふうに考え込み、やがて苦笑いを浮かべた。
「まあ、もうかなり噂になってるし、知ってると思うけど、どうも、セルティアさんの持っていた香雫が、その爆発する香雫だったらしいのよ。他には、そういう香雫はなかったらしいから、それで、セルティアさんだけに色々と聞こうとしたのね、きっと。まあ、詳しいことは私も知らないんだけどね」
「そうですか、じゃあ、学園とか上部運営組織の人は、今回のことをどれだけ知ってるんでしょうか? 何だか、いつまでたっても解決されない感じがするんですけど」
マナは遠慮がちにシエラを見つめながら聞いた。
「どうなんでしょうねぇ」
シエラも困った顔で言う。
「まったく知らないってことはなさそうだけど、もし深く知っていれば、もっと早くに事件は解決したんじゃないかしら。だいたい、その爆発する香雫の出所だってわからないから、セルティアさんに聞こうと思ってたんじゃないかしら。それに……」
と、シエラはマナを意味ありげな目で見つめ、いきなり強い口調で言い始めた。
「自警団とか運営組織がどの程度仕事してくれるかってのは、あなたもよく知ってるでしょ? よくわかんない政治的配慮だとか香精秘術の意義とか歴史とか振りかざしてばっかりで、まともな決定なんてしてくれないだろうし、実際に動いてくれるとしたら、水面化でコソコソコソコソやってるだけよ。あんなの、あってもなくても一緒よ」
「は、はあ、そうですか……」
シエラの口調に、マナは苦笑いを浮かべながら、遠慮がちにうなずいた。
「あ、あら、ごめんなさい。変なこと言っちゃって」
シエラはそう言って、照れ臭そうに口を覆った。
「いえ、あたしこそ、変なことを聞いてすみません」
「いいのよ。みんな、今回のことは気になるだろうしね」
「それじゃあ、あたしはこれで失礼します」
「勉強も頑張ってね」
席を立ったマナに、シエラはそう言って、ニコリと笑った。
時は夕刻すぎ、すでに明りなしでは歩けないほど暗くなった通りを、マナ・ナルナット、リィム・シュプレ、サラク・ラクティーの3人は、先日手に入れたコインを握り絞めて、尖った山と3本線の看板のある家へと向かっていた。
午前中に、リィムはコインその家の玄関の隙間から入れておいた。先日の話が本当であれば、これからあの家に行けば、セルティアと会えるはずである。
「マナさんはここは初めてだよね」
「そう言えば、そうでしたね」
先日も通ったモミの木通りを歩きながら、リィムとサラクが続けて言った。2人に見つめられたマナは、「そうよ」と簡単に答える。
「この先に、おっきな木があるんだよ。天気のいい日に登ったらすっごく気持ちよさそうな。リィム、これが終ったら登ってみようと思ってるんだよ」
「ふーん」
暗い通りをランプの明りで照しながら、マナはやや心ここに非らずという感じで答えた。
家や店の明りが漏れてはいるが、細い通りは闇に紛れて先を見通すことができず、下手をすればここがどこなのかわからなくなりそうだ。初めてのマナだけでなく、サラクも昼に来た時とは違って、しきりに周囲を気にしている。
一方、リィムはそんなことまったく気にしてない様子で、いつものように元気な声で喋っている。
「ところでさ、ミアちゃんのお父さん、ちゃんといるかなあ」
「いるといいですね」
心配そうに言ったリィムに、サラクが答えた。その横から、あまり興味なさそうな感じで、マナが答える。
「行ってみればわかるんじゃないの?」
マナはそう言って、やはり辺りをキョロキョロと眺める。その様子は、夜道を怖がっていると言うよりは、初めてきた場所をもの珍しそうに眺めているように見える。
やがて、3人は大きな木のある広場へと辿りついた。微かに家屋からもれる明りと、小さな街灯に照されたモミの木は、すっと暗闇に向かって伸びている。
「ほらね、これがそうだよ。すごいでしょ」
リィムが、まるで自分のものであるかのように自慢げに言った。
「それより、ここからどう行くの?」
マナはそれには興味なさそうに、ランプを掲げて広場を照しだした。微かに、いくつかの通りが伸びているのが見える。
「ああ、うん。こっちだよ。この通りを少し行ったところにあるんだ」
リィムはそう言って、先頭を切って歩き始めた。
その先は細い通りが更に続いていて、3人は同じような調子で話しながら、目的の家に向かって進んだ。
「あ、あそこだよ」
「あ、待って。先に言っておきたいんですけど……」
目的の家を見つけて走りだそうとしたリィムを、サラクがちょっと心配そうな声で呼び止めた。先を急ごうとしていたリィムは、その声にふと足を止めて振り返る。
「何?」
「わたし、後から見てますけど、十分に気をつけないといけないですよ」
サラクはやや厳しい顔つきで言った。前回も、注意しろと忠告したが、リィムは無視してそのまま突っ込んでしまった経緯がある。
サラクの妙に深刻そうな表情に、リィムは先を急ぎたそうな仕草を見せながら、乾いた笑いを浮かべる。
「だ、大丈夫だよぉ。そんなに心配しなくても」
「大丈夫じゃないです」
と、サラクは更に語調を強め、リィムを諭すように言う。
「あの人たちは、ある意味では、人の命を奪ったわけですから、注意するにこしたことはないんですから。わたし、上部運営組織がどれくらい動いてくれるか聞きにいったんですけど、まったく相手にしてもらえませんでした。最初から、わたしたちなんて気にも止めてないんです。何かあっても、彼らは何もしてくれないかもしれないんです」
「……う、うん」
リィムは叱られた子供のように、上目遣いしながらうなずいた。
「気をつけて行ってください。わたしは外から様子をうかがってますから」
「わかった」
リィムはにこっと笑うと、マナと共に扉へと向かって行った。
建物からは、微かに明りがもれているのが見えた。
「やった、いるみたいだよ」
リィムは喜々として、扉をノックした。返事を待ちつつ、リィムはマナの方を振り返った。
「ミアちゃん、いるかな」
「ミアさん? そうね。たぶんいるんじゃない? だって、お金持って行かなかったんなら、他に行くところなんてないじゃない」
マナの言葉にうなずきながら、リィムは少し心配そうな顔をした。
「そうよね。でも、誰かに捕まってたりしないかな……」
「まあ、上部運営組織の人にもう捕まってる可能性はあるわね」
「やだなあ……ううん、今はいい方に考えなくちゃね」
リィムは不安を拭うように、再びノックをした。
それから少し間をおいて、扉が開かれた。
「こんにちは、約束通り来たよ」
リィムはにこっと笑い、持ってきたコインを目立つように見せた。目の前には、恐らくそれがミアの父親であろう、予想していたのとは少し違う、優しげな男が立っている。
「……入りなさい」
男はそれだけ言うと、2人を中に招き入れ、外の様子をうかがうようにしながら、玄関の扉を閉めた。
2階への階段がある部屋へと、2人は通された。さらにいくつかの扉から奥へと部屋は続いているようだ。だが、ほとんど生活感はなく、テーブルの上にさえ、埃が積もっている。
「はい、これ銀貨30枚と、リィムの香雫」
リィムはいつもの元気な声で言って、小さな袋と自分の香雫を差し出した。男はそれを黙って受け取ると、まず香雫をじっとランプの明りにかざして確認し、それから小袋に入った銀貨を確認した。
男が確認をしている間、マナはこそっとリィムに耳打ちした。
「あのお金、どうしたの?」
「ああ、あれね、みんなでちょっとずつ出し合ったのよ」
リィムの答えに、マナはハァと小さくため息をついた。
村費留学生であるマナにとっては、こんなことにお金を使うなどもっての外、という感じだ。マナの生活費は、村人が毎月少しずつ出し合って送ってきてくれるもので、自分勝手なことに使えるものではない。
「それがどうかした?」
「何でもないわ」
リィムの不思議そうな表情に、マナはもう一度、ため息を返した。その時ちょうど、鑑定が終ったようで、男が2人の方を見た。
「間違いないようだね」
「よかった。じゃあ、早く新しい香雫ちょうだい」
リィムは明るく笑っていった。
「まあ、そこで待ってなさい」
と言い残した男は、家の奥へと消えて行った。
やがて、戻ってきた男は、リィムの前のテーブルに、小さな箱を置いた。箱を開けると、中には香雫が入っていた。
「わぁ、これがその新しい香雫?」
「そうだよ」
男は少し笑って答えた。
「ねぇねぇ、聞いていい? これ、どこから手に入れたの?」
「さあねぇ……」
男は口の端を上げて言った。
「じゃあ、リィムの香雫はどうなっちゃうの?」
「それはよくわからないな。私はこうして物を渡すだけだから。それより、その香雫でいいんだね」
「え? うーん……」
と言いながら、リィムは迷う振りをして考え込んだ。その横から、マナが耳打ちをする。
「どうするの?」
「どうって……」
リィムは再び考えた後、何か思いついたようにパッと顔を上げた。その瞳には先程までの明るさはなく、厳しさの中に、どこか寂しさが混じっている。
「ねぇ、あなた、ミアのお父さんでしょ!?」
突然の質問に、男はあっけにとられたように沈黙した。
「隠さなくてもわかってるよ。リィムたち、色々と調べたんだもん」
リィムはやや口調を強めた。テーブルの向かいに座っている男は、眉間にいくらかしわを寄せながら、リィムの様子をうかがっている。
「知ってる!? ミアちゃんの親友、スカーラちゃん、死んじゃったんだよ!」
その言葉を受けながら、男は口元を手で押さえながら、先程と変らぬ表情で、じっとリィムと見つめている。リィムは、押さえ切れない感情を剥きだしにするように、拳を握って振り回した。
「この人殺しっ!! おじさんがスカーラちゃんを殺したんだよ!」
リィムはそう叫んだ後、急に力なくうなだれた。
「ミアちゃんのこと……ミアちゃんの気持ちを考えたことあるの? スカーラちゃんが死んで、おじさんが悪いことしてるってわかって、ミアちゃん責任を感じてたんだよ……」
リィムは今にも泣き出しそうな声で言う。
「それで、ミアちゃん、寮を出たっきり、もう何日も帰ってないのよ」
「何だって……」
男の口から、小さな驚きの言葉が漏れた。思わず口からこぼれたその言葉は、見逃せるほど小さくはなかった。
「やっぱり、ミアちゃんのお父さんなんだよね」
「あ、いや……」
男はすぐに口元を覆って、を装おうと視線をそらした。
「もう、隠さなくてもいいじゃない!」
「そう感情的になってもしょうがないわ」
そう叫んだリィムを、マナの冷静な言葉が押しとどめた。
「セルティアさんですよね。あなたはこの偽香雫を扱っていて、ミアさんに香雫を渡した。ということは、誰が作っているかは知っているけど、その危険性についてまでは知らなかったんですよね」
「危険性? それは一体、どういうことだ?」
その男、セルティアは不思議そうな顔をして、身を乗り出してきた。
「しらばっくれないでよっ!!」
リィムが感情的な声で、それに反発した。だが、マナはやはり、平静な言葉で続ける。
「あなたが売りさばいている香雫が爆発しています。スカーラさんは、それで死んだんです」
「香雫が……爆発? そんな……いや、しかし……」
セルティアは口元を手で覆いながら、信じられない、という表情で思考を巡らせている。
「本当に、知らなかったの?」
やや感情を落ち着かせたリィムが、ポツリと聞いた。
「いや、本当に……爆発って、最近のあの騒ぎは、香雫が爆発していたものだったのか?」
「そうですわ」
マナがやや冷たい声で言った。それまでは平静だったセルティアの表情が、一気に険しいものになり、2人に詰め寄ってきた。
「ミアは、ミアはどこにいるんだ!? ミアはその香雫を持っているんだ……」
「それなら回収されました」
「回収、された?」
マナのやや冷たい説明に、セルティアはわけがわからないという顔をした。
「先日、香雫が回収された時に、ミアさんの香雫が危険性のある香雫だとわかったんです。それで上部運営組織から狙われたミアさんは、姿をくらました、というわけです……」
「そ、そんなことが……」
ショックを隠し切れないセルティアは、ヨロヨロと力なく歩いて、まだ埃だらけだったテーブルの椅子に座った。
「全部、おじさんのせいなんだからね」
追い打ちをかけるように、リィムは言った。
「もう、全部話しちゃってよ。とにかく、何とかしてミアちゃんを見つけて、事件も解決しないと……ね、話しちゃってよ」
「……わかった」
セルティアはテーブルでうつむいたまま、小さな声で言った。
「あの香雫を作ってるのは、香雫研究所というところらしい。だが、詳しいことは私も知らないのだ。私は、シェリケラという商人からこの香雫を渡され、それを生徒に売りさばいたり、あるいは、シェリケラとの取り引きを行なったり……それから、シェリケラの命じた時は、香雫を買いにきた生徒を、シェリケラのところまで案内して……」
「案内してどうしたの? もう、何もかも言っちゃいなよ」
じれったそうに、リィムが聞いた。セルティアはその言葉に後押しされるように、ボソボソとした言葉で続ける。
「私もよくは知らない。ただ、彼らは何らかの実験のために売られていくという話を聞いたことがある……私が知っているのはそれだけだ。私は、シェリケラの元で働いていたに過ぎないのだ」
セルティアは、やや声を戻して続ける。
「香雫が爆発するなんて、本当に知らなかったんだ。シェリケラには、これは虹色の香雫で、魔法が上達するものだって言われてた。だから、ミアにも1つ渡したんだよ」
セルティアの話を聞いていたリィムが、再び感情的に口を開いた。
「どうしてそんなことしたのよっ!! ミアちゃんに迷惑がかかるに決まってるじゃない!!」
「金が必要だったんだっ」
セルティアは、思わず強い口調で言い返した。
「あの子の入学が決まった直後に商売で失敗して……どうしても金が必要だったんだ……あの子のために、どうしても金が必要だったんだ……」
セルティアはがっくりとうなだれながら、震える声でそうつぶやいた。
「おじさん、バカだよ……」
リィムは、小さくため息をついた。セルティアは自嘲ぎみに笑う。
「そうだな、バカかもしれん。だが、あの子のためなら仕方がないことだ。……あの子は今いったいどこにいるんだ……まさか、華法宮に捕まったんじゃあ……」
「それは、わからないわ。だって、ここにもいないんでしょ?」
マナが平静な声で答えた。
その時、どこかからギシッと木の擦れ合う音が聞こえてきた。
3人は不意に鳴り響いた音に驚き、ハッと顔を上げて、その音のした方向を探った。
やがて、再びギシッと音が鳴り響いた。かと思うと、今度はギシッギシッと連続的に鳴り響いた。
それは、部屋から3階へと続く階段の上の方から聞こえていた。
階段の上から、ランプの薄明かりに照されて最初に小さめの足が見えた。そして、暗がりに紛れるような色のスカート、腰から上に、白っぽいブラウスと、小さめの手。階段を降りるに従ってその姿が明らかになり、やがて、その人物ははっきりと3人の前に現われた。
階段の手すりに手をかけながら立ち止まったのは、ミア、その人だった。
「ミアちゃんっ!」
「ミアっ!」
セルティアとリィムが同時に叫んだ。ミアは、学園にいた頃には見せなかった、寂しげな表情を見せたまま、固まっていた。
「私が学園を辞めればいいの?」
駆け寄ろうとしたセルティアとリィムは、ミアのその一言で動きを止めた。
「そうすれば、お父さんは悪いこと辞めてくれるよね?」
ミアは感情に乏しい口調で言った。
「ミア……」
「ミアちゃん、何を言ってるのよっ!!」
つぶやいたセルティアに続いて、リィムが叫んだ。だが、ミアはなぜか少しだけ笑って、首を振った。そして、再び父親の方を見た。
「そしたら、また一緒に暮らせるかな」
ミアは家の中をグルリと眺め、そして、そばの手すりに指を滑らせた。
「だってお父さん。わたしがいないと、家事もろくにできないんだもん。ここだって、ほとんど使ってないんでしょ。きっとまた、どこかのおんぼろな宿とか荷馬車とかで寝泊まりしてるんだよね」
ミアはそう言うと、以前とはちょっと違う、でもどこか優しげな笑顔をみせた。
「お父さんも、少し疲れちゃったでしょ。トゥータンでまた、一緒に暮らそうよ」
「あ……わ、私は……」
頭を抱える父親に、ミアはそっと近づきながら、リィムとマナの2人を見た。
「ごめんなさい、何だか変な騒ぎになっちゃって」
「あ、ううん、そんなことないよ」
「ホント、いい迷惑だわね」
リィムの明るい声に続いて、マナが言った。マナの平然とした表情を、リィムは困ったように見つめる。
「でも、まだ終ったわけじゃないわ。危ない香雫は残ってるかもしれないし、シェリケラとか香雫研究所の人たちは残ってるもの」
「うん、わかってる。私、しばらくお父さんとここにいるから、何かあったら知らせて。みんなにも、よろしく」
そう言って、ミアはやはり落ち着いた笑みを返した。その瞳と頬には、泣き腫らした後がまだ残っていて、いつも身だしなみを整えていた服には、すっかりしわがよっている。今ようやく、自分の気持ちを取り戻したばかりなのだろう。
「わかったわ」
感情を押さえた返事をして、マナはくるりときびすを返した。その後を追うように、リィムも続く。
「じゃあ、これで行くね。外でサラクさんが待ってるから」
「あ、待って。あの……わたしの机の引きだしに、リボンのかかった紙袋があるから。それを……スカーラにあげたかったから。ベッドの横に置いておいて」
リィムを呼び止めて、ミアはボソボソとつぶやくように言った。
「わかった。それを……」
そこまで言って、リィムはハッと一瞬、息を飲んだ。ミアは、スカーラが逝ったことをまだ知らない。リィムはどう言えばいいかわからず、少しの間思考を巡らせた。
「う、うん。わかった。ベッドの横に置いておけばいいのね。うん、気がついたら、きっと喜ぶよ」
そう言って、リィムは何とかにこっと笑った。ミアはそれを聞いて、少し無理したような笑顔を見せた。
第4回リアクションは、セルティア商会から帰るシーンで終わっていますが、すぐにセルティア商会に戻って行いたいことがあったため、リアクション内に日付を特定する記述がないことを確認し、他の全ての第4回リアクションにおける最終日の出来事だったことにしてアクションを書いています。
結果、第5回リアクションの「GMからのコメント」に、「実はかなり反則なんですが、前回のリアクションのすぐ直後という設定です。無理やり行動期間を1週間に設定してあったので、今回はリアリティを重視して、ちょっと無視しました」
という他のプレイヤーさん宛てのメッセージが記載されることになりました。
すっかり暗くなった道を、マナ、リィム、サラクの3人は、学園へと向かっていた。
先程、ミアの父親に会った3人は、ミアの父親がシェリケラという商人の手下として香雫を売っていたこと、彼らが生徒を誘拐していたこと、偽物の香雫を作っていたのは香雫研究所であること、などを確かめた。
そして、その家に隠れていたミアとも再会し、複雑な気持ちで帰路についていた。
「ねぇ、あのね……」
黙々と歩いていた3人の中で、リィムがようやく口を開いた。その表情は、いつもの明るいものではなく、すっかり沈んでいる。
「リィムたち、これからどうしようか」
「これからって?」
スタスタと先を歩いていたマナが、くるっと振り返って聞いた。リィムの後にいたサラクも、うつむいていた顔をふと上げる。
「んーと、だから、ミアちゃんのこととか、お父さんのこととか。それに……リィム、ちょっと後悔してるんだ」
「……さっきのことですか?」
後から、サラクが寂しそうな顔で言った。リィムはポニーテールを揺らしながらサラクの方を振り返り、やはり、いつもとは違う、落ち込んだ表情を見せる。
「うん、そう。リィム、ミアちゃんに嘘ついちゃったんだよね。やっぱり、本当のことを言った方がよかったのかな」
「それは……」
サラクは言葉に詰って、じぃっと見つめるリィムから顔をそらした。
そしてしばらく考えた後、困った顔で振り向いた。
「仕方なかったと思います。私でも、ミアさんに……スカーラさんのことを言うなんて……できないと思うから」
詰りながらそう答えたサラクに、リィムは
「うん、そう……だよね」
と、力なくうなずいた。
その横で、しばらく何事かを考えていたマナが、急に今来た道を戻り始めた。
「あ、あの、どこに行くんですか?」
「え、ちょっとキミ、待ってよ、どこいくの?」
リィムとサラクは不思議そうな顔をしながら、スタスタと歩いていくマナを慌てて追って行った。
「ねぇ、どこに行くの?」
「あの2人のところに行くのよ」
マナはややそっけない感じで答えた。リィムとサラクの2人は、早足でマナの後をついていく。
「あの2人って、ミアちゃんとお父さんのこと? あの家に戻るの?」
「そうよ。事は一刻を争うかもしれないわ」
真剣な顔でそうつぶやいたマナは、そのまま歩くスピードを上げた。
「ま、まって、そんなに早く歩かないでください」
「ああ、ほら、サラクが遅れてる。慌てるのはわかるけど、もっとゆっくり歩こうよ」
やや遅れ始めたサラクと、構わず早足で歩き続けるマナの顔を交互に見ながら、リィムは困った顔をした。リィムはタッと走ってマナの前に出ると、マナの行く手を塞ぐようにしながら、険しい顔でマナを見た。
「キミ、なんでそんなに急いでるの?」
マナは自分の行く手を邪魔されて眉をしかめたが、やや歩くスピードを落としながら答える。
「ミアさんの父親は、生徒の誘拐にも協力したと言っていたわ」
「うん、そうだよ」
「それなら、すぐに学園や自警団に知らせて、シェリケラの家や香雫研究所を捜索して、誘拐された人たちの救助を行なわなければならないわ。ミアのお父さんから今のうちに話を聞いておくのよ」
「うん、それはわかるよ。でもそんなに急いでどうするのよ。ミアちゃんだって、お父さんだって、今はとっても辛い時なんだよ。キミ、可哀想だと思わないの?」
「誘拐された生徒は、いつどこへ運び出されるかわからない。早くしないと、取り返しがつかなくなるわ。それに……」
マナは足を止めて、やや強い口調で言い返す。
「誘拐されて、あるいは殺されてしまった彼らは可哀想だとは思わないの?」
リィムは一瞬、顔を強ばらせた。そして、すぐにうつむいた。
「そ、そりゃそうだけど……でも、でもリィムは……」
「リィムさんは、ミアちゃんのことが心配なんですよね」
ようやく追い付いたサラクが、リィムの背中を優しく叩いた。
「でも、私はマナさんの言うことももっともだと思います。それに、ミアのお父さん……セルティアさんを責めるわけにもいかないけど、シェリケラっていう人物に辿りつくには、彼の協力が必要だと思うんです」
「うん……」
うつむいているリィムを、サラクはややためらいながら、そっと抱きしめた。
「大丈夫ですよ。シェリケラって人を捕まえて、そしたら、前とは違うかも知れないけど、少しは気が楽になると思います」
自分にも言い聞かせるようにつぶやいて、サラクはリィムの肩をギュッと抱きしめた。
「……ねぇ」
やがて、リィムはポツリとサラクの腕の中でつぶやいた。
「キミ、やっぱりそういう趣味あるの?」
下からサラクの顔を覗き込んで、リィムは不思議そうに聞いた。
「ちっ、違いますっ。これは、そのっ、何ていうか……」
サラクは慌ててリィムから手を離すと、あたふたとした様子で弁解をした。その様子を可笑しそうに見つめながら、リィムはいつもの明るい元気な声で言う。
「冗談だよっ。そうだよね。今リィムたちがすることは、シェリケラを捕まえること。さ、行こうよ。ね、マナさんも……」
そう言って振り返ると、すでにマナの姿はなかった。暗がりの通りの向こうに、スタスタと先に歩いているマナの姿が見える。
「え、ちょっと、マナさん、待ってよ~。ほら、サラクも急いで」
リィムはサラクの手を引いて、セルティアの家へと向かうマナの後を追った。
3人は、再びセルティアの家を訪れた。
突然の来訪に親子は驚いた様子だったが、すぐに、3人は先程の部屋に通された。
マナ、リィム、サラク、ミア、セルティアの5人は、軽く掃除された安物のテーブルについた。軽く言葉を交わした後、やや重苦しい空気が流れる中でサラクが唇を開く。
「あなたを責めるつもりはありません。ですが、私たちにとっては、あなたからの情報が唯一なんです。自分のしてきたことを悪いと思うのでしたら、どうか、私たちがシェリケラ氏に会えるように手伝って下さい」
セルティアは、やや驚いた様子で目を開いた。
「いや、しかし、それは君たちにも危険では……」
「危険は承知です。でも、もう黙って見てはいられないんです。今度、シェリケラ氏と会う予定があれば、それに私たちを同行させてくださるだけでいいんです」
サラクの強い言葉に、セルティアは困ったように眉間にしわを寄せた。
「大丈夫だよっ、シェリケラなんて、リィムがこてんぱんにしちゃうんだから。魔法を使って気をそらしてる間に殴っちゃえば大丈夫!」
リィムが自身ありげに言った。だが、やはりセルティアは困った顔をしている。黙っているセルティアに対して、サラクはそのままの口調で続ける。
「私たちが香雫を買いに来た生徒のふりをすれば、シェリケラ氏にも会えるのではないですか? お願いします。案内して下さい」
再び、沈黙と共に重苦しい空気が訪れた。サラクとリィムは身を乗り出すような感じでセルティアをじっと見つめ、ミアとマナは、静かにテーブルの様子を見つめている。
「シェリケラの店は知ってるね。あの大通りにある大きな建物だよ。そこに行けば、シェリケラと会うことはできるだろうが……しかし、とても無事で済むとは思えない。彼は、そういう人間だ」
ボソボソとした感じで、セルティアは言った。その横では、ミアが寂しげな視線で、静かにことの成り行きを見守っている。
「それなら……」
と、マナが口を開いた。
「セルティアさん。あなたの知っていること、あなたのしてきたことを、自警団と学園に自ら報告して下さいますか。そうすれば、自警団なり、学園なりが本格的に動きます。あたし達では手を出せない問題かも知れませんが、彼らが解決してくれるはずですわ」
そのままの口調で、マナは続ける。
「香雫が爆発することは知らなかったのですから、ス……その犠牲者について責任はないでしょう。でも、生徒誘拐は決して許されないことです。誘拐された生徒が既に死んでいたら、本当誘拐された生徒の家族に謝罪すべきですわ」
ハァと小さくため息をついて、マナは続ける。
「まあ、それはともかく、生徒が誘拐されている以上、事は一刻を争うんですよ。それはわかってくださいますよね?」
セルティアはしばらく考えた後、ふと、横に座っていたミアの方を見た。ミアはその透き通った瞳で父親の方をじっと見つめ返し、何かをつぶやき、小さくコクリとうなずいた。
その言葉は、恐らくミアの生まれ育った遠い北の地の言葉で、マナやリィム、サラクには理解ができなかった。
セルティアはテーブルに目を落とし、がっくりとうなだれてしばらく考えていたが、やがて、決心したようにその顔を上げた。
「わかった。自警団に行くよ」
「セルティアさんっ」
リィムは嬉しそうな声を上げ、隣でサラクが安心したようにホッと胸を撫下ろし。そして、マナもどこか落ち着いた様子で小さく息を吐いた。
「話は早い方がいいだろう。これから行って、シェリケラのことや、研究所のこと、それから、私がしてきたことを、全て話すことにするよ。自警団が動けば、上部運営組織にも伝わる。それできっと、全てが解決されるはずだ」
立ち上がりながら、セルティアは言った。
「ありがとうございます」
上着を取ろうとしているセルティアに、サラクは頭を下げた。セルティアは苦笑いを浮かべながら上着を羽織り、ミアのそばに歩み寄った。
「それが、この子のためにもなるだろうからね」
そう言って、セルティアは優しげな笑みを見せた。ミアは父親の顔を見上げながら、少しだけ、笑って見せた。
「君たちはどうするんだね。ついてくるかね?」
ミアの肩に手を置きながら、セルティアは3人に聞いた。3人はお互いの顔を見回す。
「リィムは、シェリケラを捕まえに行く。キミたちも行くでしょ?」
と、リィムはマナとサラクの方を見た。サラクはこくりとうなずいたが、マナはじっとリィムの方を見つめ返して唇を開いた。
「もう、あたし達の出る幕はないわ。こんなに事件が大きくなってしまったら、後は自警団に任せればいいわよ」
「でも、やっぱり自分たちでカタをつけたいでしょ?」
「そこまでする必要があるのかしら。第一、そんなとこまで個人がでしゃばっていたら、何のために自警団があるのよ。いくら自警団が能なしだからって、さすがに今回ばかりは動かざるを得ないでしょ」
「そ、そうだろう……うーん、そうかなあ……」
そんなマナとリィムのやりとりを見ていたセルティアは、そばの棚からペンと紙を取り出すと、サラサラと何かを書いた。
「これを持っていけば、シェリケラに会えるだろう。使わないにこしたことはないと思うのだが」
セルティアは1通の手紙をリィムに渡した。
「それでは、私は行くから、ゆっくりしていってくれたまえ」
そう言った後、セルティアはミアに呼びかけた。ミアはふと顔を上げ、心配そうな顔で父親を見つめる。
「何日か、時間がかかるかもしれない。何かあれば、友達を頼りなさい。みんな、いい友達じゃないか」
「うん」
父親の笑顔に、小さな声でミアはうなずいた。
そして、セルティアは家を出て行った。
セルティアを送り出した後、部屋にはまた重苦しい空気が流れた。
「お茶、入れてくるね」
その空気に耐えられなかったのか、そう言ってミアは席を立った。それに続いて、サラクも席を立つ。
「手伝います」
「あ、大丈夫だから、待ってて」
ミアにそう言われて、サラクはそのままストンと腰を下ろした。再び席についたサラクに、隣にいたリィムは小さな声で言う。
「ねぇ、どうしたらいいかな。ミアちゃんに、本当のこと言う?」
困った表情のリィムに、サラクもやはり困った顔を返した。その向こうから、マナがやはり小声で言う。
「敢えて言う必要はないわ。でも、聞かれたら答えるべきでしょ」
「そう、だよね。うん、みんな終わってから、言おうか……」
そう言って、リィムは寂しげな顔でうつむいた。
やがて、ミアがお茶を入れて戻ってきた。
「ごめんなさい。どれもこれも埃まみれだったから、時間がかかっちゃって。お父さんたらものぐさだから……」
ミアは申し訳なさそうに笑って言った。
「あれ、何だか珍しいカップ。それに、お茶も何だか違うね」
リィムは、目の前に置かれたお茶の入ったカップをマジマジとのぞきこんだ。この辺りでは見たことのないものだ。
「私の故郷の辺りでよく飲むお茶なの。口に合えばいいけど……」
「そうなの。いい香りね」
サラクは湯気と共に上がってくる香りに、思わずにこっと笑った。お茶を飲みながらみんなとたあいもない話をする時間は、サラクの好きな時だ。
「あたしの村のお茶と似てるわね」
マナはお茶の香りを嗅ぎながら、少し懐かしそうに言った。村からのわずかな仕送りで生活しているマナは、お茶などもあまり飲まない。年に何度か村から送られてくる荷物の中に、お茶がいくらか入っているくらいだろうか。
「……でも、ずいぶんいいお茶じゃない?」
「うん。何だか、すっごく落ち着くし、高そう。よく飲んでるの?」
「ううん」
ミアはちょっと苦笑いを浮かべながら、首を振った。
「特別な……お茶なの。わたしも、何度かしか飲んだことないから……」
「ふーん、高そうだもんねぇ。ちなみに、いくら?」
リィムの質問に、ミアはやはり苦笑いを浮かべる。
「それは……ちょっとわからない。買うものじゃないから。それに、こっちで売ってるところも見たことないから」
「向こうって、ミアさんは北の方の出身ですよね。確か、トゥータン国とか言ってたよね」
サラクは落ち着いた口調で聞いた。
「うん。リエクタって知ってる?」
「リィム、あっちの方はよくわかんないよ」
「あたしは知らないわ」
マナはぼそっと言った。サラクは苦笑いを浮かべながら、ミアに聞き返す。
「どこの辺り? 名前は聞いたことあるけど……」
「トゥータンの東の端っこで、一番大きな街です。そこから、北に何日か行ったところにウルエクタって街があって、そのすぐ近くです」
「うっひゃー、遠い遠い。どのくらいかかるの?」
リィムは目を丸くして、驚きの声を上げた。
「えーっと、歩くと1ヵ月くらいです。でも、“風の路”から貿易街道がずっと続いてるから、荷馬車とかに乗せてもらえばその半分くらいです」
「うわぁ~、死ぬほど遠い」
リィムは椅子から転げ落ちそうなほど、大げさなリアクションを見せた。
「こっちに来るの、大変だったでしょう」
「うん。でも、こっちに来る時は、頑張って香術士になろうって思ってたから、そんなに辛くなかったな……」
そう言って、寂しげな顔でミアはうつむいた。暗くなった空気を紛らすように、リィムが務めて明るい調子で口を開く。
「そ、そう言えば、このお茶って特別だって言ってたよね。どういう時に飲むの?」
「あ、うん……」
ミアは一瞬、顔を上げたが、力なくうなずくと再びうつむいた。そして、部屋の中にはまた沈黙が訪れた。
「……このお茶、ね、リーゼ・ルゥアンって言うの」
やがて、ミアがやはり力ない言葉で口を開いた。サラクは、カップから口を離しながら聞き返す。
「リーゼ・リューアン? それって、どういう意味なんですか?」
「“親しき人へ”、かな。故人を偲ぶお茶なの……」
ミアは顔を上げて、無理した笑みを浮かべた。澄んだ瞳から、今にも涙がこぼれそうになっていた。テーブルにいた他の3人は、ドキッとして動きを止めた。
「ごめんなさい……わ、わたし……わたし……」
ミアは口元を手で覆い、涙を堪えながらつぶやく。
「本気で、スカーラを……スカーラを助けようって思ってなかった……。自分のことばっかり考えて……どうしよう、どうしたらいいんだろう、わたしは一体どうしたらいいんだろうって、そればっかり考えて……」
ミアはしゃくりあげながら、湧き出てくる思いを押さえらずに言葉を続けた。
「わたしが早く言ってれば……スカーラを助けようって、何をしてでも助けようって行動してたら……スカーラは、スカーラは……」
そのまま、ミアはうつむいて泣いていた。幾度か、しゃくりあげながら涙を拭い、そしてまた、泣き続ける。
「ミアちゃん、知ってたの……」
リィムが哀しげな表情でつぶやいた。ミアは小さくうなずいて、必死に涙を堪えながら、ようやく顔を上げた。
「うん……ここの2階で、ずっと、座って、泣いてたの……。お父さんが帰ってきたのも気づいたけど、どんな顔して会ったらいいか、何を言えばいいのか、何を聞けばいいのかわかんなくて、ただ隠れてるしかできなくて……」
ミアは涙声で続ける。
「そしたら、みんながやってきて……お父さんと話してる声が聞こえてきたの。リィムが、お父さんに言ってたのを聞いて……」
「リ、リィムが?」
リィムは驚いて自分を指差し、その時のことを思い出した。確かにあの時、リィムは感情的になって、スカーラが死んだのはあなたのせいだ、とセルティアに迫った。
「ごめん。ごめんよ。リィム、嘘ついちゃったんだ。本当に、ごめん、嘘つくつもりじゃなかったんだけど……でも……」
「うん、わかってる」
ミアは涙を拭いながら、それでもリィムに笑顔を返した。だが、その笑顔もすぐに崩れていった。
「そしたら……一瞬、ガーンって、すごいショックだったけど、その時は、何だか急に冷静になって……ちゃんと、ちゃんと話さなくちゃって思って……」
苦しそうな声で告げるミアに、サラクは思わず立ち上がって走り寄った。そして、椅子に座っているミアの横に膝を立てて、思わずぎゅっと抱きしめた。
「わたしが何かしてれば……わたしはお父さんのことに気づいてたんだから、わたしはスカーラを助けられたかもしれないのに……わたしには、何かできたかもしれないのに……」
「もう、もういいから。みんな、わかってるから……」
腕の中で泣きながら言い続けるミアを、サラクはただ懸命に抱きしめ、慰めの言葉をかけづけた。その横で、マナがポツリ、とつぶやいた。
「ミアさんだけじゃないわよ」
マナは肘をつき、暗い表情でテーブルの上を見つめていた。
「スカーラさんのそばにいた人は、あたしを含めて、みんなそう思ってるわよ」
「わたしも、何もできなかったなって、思ってる。でも、悪いのはミアちゃんとか、リィムたちじゃないんだよ。スカーラちゃんをあんな目に合わせた、シェリケラとか、研究所の人たちなんだよっ!」
リィムは思わず強い口調で言った。
「だからリィムはシェリケラを捕まえに行く。ミアちゃん、スカーラちゃんのことは、とにかくシェリケラとか研究所の人たちが捕まって、事件が解決してから考えようよ。それから、ミアちゃんがこれからどうするかも……ね」
ミアは無言のまま、何度かうなずいた。そして、自分を抱きしめながらいつの間にか泣いていたサラクの背中を、そっと抱きしめる。
「わたし、大丈夫だから。サラクさん、リィムさんと一緒に行くんでしょ?」
「……そうね。そうしなくちゃ……でも、マナさんは反対なんでしょ?」
心配そうに言ったサラクから、マナはフイと顔をそらした。
「あたしたちの出る幕じゃないとは思うけど、止めはしないわよ。あたしは寮に帰ってるわよ」
マナの横顔を見た3人は、思わずクスッと笑った。
「じゃあ、リィムたちは行くから。ミアちゃんは、しばらくここで隠れててよ。一人じゃ寂しいと思うけど、時々は様子を見にくるからね」
「うん、大丈夫だから……」
ミアは、いくらか明るい声で返事をした。その声に安心したリィムは、いつものように明るくにこっと笑った。
そして、3人はミアを残して家を後にした。
だがこの後、勇んでシェリケラの元へと向かったはいいが、シェリケラを捕まえることはできなかった。
店が閉鎖されたわけではなさそうだが、なぜか人のいる気配はなく、リィムが魔法で建物の高い場所に飛んでいっても、中には誰もいる様子がなかった。
彼女たちはずっと後で知ることになるのだが、この時ここには、行方不明になっていた生徒たちは愚か、シェリケラ本人さえもいなかったのである。
その翌日、偽香雫製造販売の首謀者である研究所の所長と研究員が手入れにあい、研究所もろとも爆発に巻き込まれてしまった、という話が聞こえてきた。シェリケラがそれに関わっていたという話は、噂としてはいくらか広まってはいたものの、実際には何も咎められることはなかった。
そうして、どこか煮え切らない雰囲気を残しながら、事件はようやく幕を閉じた。
「セイルさんセイルさんセイルさーんっ!!」
「何? シア」
「あのですね、あのですね~。えーっと、どこにやったかな~」
セイルの前でピタッと止まったリュアは、慌ててそう言いながら、おぼつかない手つきでゴソゴソとかばんの中を探る。
「あ、あった。はい、これプレゼントです~」
そう言ってサッと差し出されたのは、青いリボンのかかった1冊のノートである。表紙には「少年探偵団事件簿 その一」と書かれている。
「わたし、ずっと事件簿をつけてたんですよ。これは団長さんにあげます」
「ありがとう。へえ、いつのまにこんなもの書いてたの?」
「毎晩頑張ってたんですよ~」
と、リュアは満面の笑顔で、少し照れながら言った。
「そっか、どんな感じかな……そう言えば、シアは検定どうだった?」
喜々としてリボンを外しながら、セイルは聞いた。
「よくわかんない。でも、合格するかどうかは別として、休学しようと思ってるの」
「えっ、きゅ、休学って? どうして?」
リボンを外す手を止めて、セイルは思わず顔を上げた。
「うーん……色々なところを旅して、香雫を使っていけば、自分が七色の香雫に相応しい人間になれるんじゃないかって気がして。それに、旅の途中で本物の七色の香雫を手に入れられるかもしれないし……そうだ、団長さんの誕生日っていつですか~?」
セイルはリュアの勢いに戸惑い、一瞬考えてから答える。
「え、えーっと暖唱初音だけど」
「だ……だん?」
リュアはきょとんとした顔を見せた。セイルは慌てて言い直す。
「あ、ごめん、えーっと、こっちだと4月1日」
それを聞いて、リュアはにっこりと笑いながらポンッと掌を打つ。
「うわぁ、おめでたい日ですね。じゃあ、七色の香雫が見つかったら、誕生日のプレゼントとかで、団長さんにプレゼントしてあげます~」
「そ、それは嬉しいけど、で、でも……」
「大丈夫ですよ。それより……そうだ、セイルさんも一緒にどうです? 少年探偵団のみんなも一緒に。みんなで行けば、きっと楽しいですよ~」
心配そうなセイルの表情をよそに、リュアは満面の笑顔を浮かべた。セイルはしばらくポリポリと頭をかいた後、少し言い出しにくそうな感じで言う。
「でもさ、休学しちゃったら、香雫は学校に返さないといけないよ。香雫を使う旅に出るなら、検定に受かってちゃんと卒業してからじゃないと……」
「えっ、うそっ!」
リュアは驚いて口をポカンと開けたまま固まってしまった。
「本当だよ」
「え、だ、だってわたし、これはもう、もらえるもんだとばかり……どうせ1年間しか効果はないんだから……」
「ねぇ、やっぱりシアも一緒に学園で勉強しようよ。みんなで勉強して、検定に受かってからでも遅くないんじゃないかな。もっとも、今回の検定で落ちてたらの話だけどね」
セイルはそう言って、無邪気なほどにこやかに笑った。
ショックのあまり未だに固まっているリュアの横に、何人かの生徒がやってきた。彼らはみな、何らかの形で今回の事件に関わってきた者ばかりで、少年探偵団のところへなんとなく集まってきたのだ。
その中から、マナ・ナルナットがずいっとセイルの前に顔を出した。
「それ、あたしも見せてもらってもいいでしょ?」
「え……あ、ああ、このノート? うん、見せてもいいんだよね」
その言葉に、リュアはようやく我に返って、ハッと顔を上げた。
「……あ、うん。団長さんがいいなら。マナさん、事件の証言を集めてるんですって」
「へぇ、そうなんだ。どうぞ。僕は後でもいいからさ」
ノートを広げながら感心したように言ったセイルは、すぐにノートを閉じて、マナの方へと差し出した。
「役に立ちそう?」
「まあね」
マナは受け取ったノートを流し読みしながら、やや無感動な声で答えた。セイルはマナの読んでいるページをのぞきこみながら、更に聞く。
「ところで、証言集めてどうするの?」
「シェリケラを捕まえに行くのよ」
「えっ!?」
セイルは驚いて顔を上げ、じっとノートをのぞきこんでいるマナの横顔を見つめた。
そこへ、レム・メア・フォスファレスが顔をのぞかせる。
「悪い奴は結局、他のところへ行っても悪いことを続けるわよ」
と、レムはそれほど興味はなさそうに続ける。
「両親にそれとなく聞いてみたけど、結局、ティアブールの方でも悪いことしてるみたいだもの。華法宮ではしばらくは大人しくしてるだろうけど、他のところではこれまで通りよ」
「結局、華法宮や学園、それに自警団ってのは手を組んでいたってことでしょ。シェリケラは何も罪に問われなかったし、責任は全て研究所に押しつけてるもの。研究所が爆発したのだって、向こうにとっては都合が良かったんじゃないの?」
というマナの言葉に、リッキー・カイルが割って入る。
「そう言えば、あの時、自警団が集めてた資料はなんだったんだろうって思わない? どうも、研究所とか、あそこにいた人たちよりも、資料の方が気になってたみたいじゃない。あたし的にはね、どうも自警団とか華法宮は、最初っからあの資料が手に入れたくて傍観してたんじゃないかって思うわけよね」
リッキーがそう言うと、レムがそれに答えるように少し声を強くした。
「あたしもね、燃え残りを調べようと思って行ってみたのよ。そうしたらもう、自警団が厳重に張り込んでて、近寄ることさえできなかったのよね。あたし、あそこにある資料が見たかったのに……なんだかすっごく悔しくなってきたなあ、もう……」
「そうだよねぇ」
悔しそうにそう言ったレムの横で、リッキーが同じように悔しがってうなずいた。その2人の会話を割るようにして、
「でもね」
と、今度はマナが語気を強くした。
「だからこそ、シェリケラを捕まえたいのよ」
「でもさ、シェリケラは捕まえられないから、みんな困ってるんじゃないの?」
マナは強い口調に押されながら、セイルが不安げに言った。だがマナは、どこか自身ありげな強い口調で答える。
「そりゃそうよ。華法宮の中ならね。でも証言を集めて、華法宮の外のどこか……シェリケラが商売をやっている都市や国の機関に持ち込めば、そこで悪いことをやったシェリケラが捕まるんじゃないかって思うのよね」
「あ、そうか……そうかもね……」
セイルは自ら納得した様子で、何度もウンウンとうなずいた。
「うん、やっぱりこれ、マナさんが使ってよ。それで、シェリケラの奴を捕まえてよ」
「借りて行くわ。なるべく早く写して返すから」
「うん。頑張ってよ」
セイルはコクリとうなずくと、何かを考えながら、マナの背中をぼーっと見送った。